キップ




 マッターホルン(4478m)  登頂:8月19日(金)10時25分
8月17日(水)
12時30分 ツエルマット着。天気快晴。駅で軽い昼食を済ませ、近くのキャンプ場に移動した。キャンプ場からもマッターホルンの威容が良く判る。午後の陽射しの中、山頂近くだけは、雲がたなびいている。その他は何度も見慣れた光景である。雪がとにかく少ない。条件としては、申し分ない。毎日晴天が続いている。「絶対に登れる」と確信した。テント設営後、両替と山岳保険加入を目的に町に出る。いつ来ても人が多い。陽射しも厳しく、手際よく用事を済ませて回る。ガイドオフィス2階で、保険加入を申し出ると「もうここでは扱っていない。パンフレットのこの電話番号に電話して、自分で加入してくれ」とのことだった。
8月18日(木)
キャンプ場を出てヘルンリ小屋まで移動する。ロープウェイ終着駅から約2時間で小屋着。朝からずっと天気は良好である。マッターホルンを常に間近に見ながらのハイキングである。直には小屋に入れないので、荷物を置いて装備を付け、夕方4時帰着予定で高度順応を兼ねて、偵察に出かける。明日は2人で登るが、今日は(緒方、川崎、溝尾)3人で行動する。岸壁基部に着くと、上からかなりのパーティが降りてきた。全てガイド登山の人達である。1時過ぎには、山頂を経て、戻って来ている。朝4時出発だから。10時間はかかっていない。皆、元気そうである。日本人のガイドパーティもいた。いつ来ても、マッターホルンの人気は変わらない。毎日10パーティ以上がマッターホルンの山頂を目指している感じだ。早速、ロープを掴んでの岩登りが始まる。昼間だし、ロープもしっかりしているので問題ない。要は、ソルベイ小屋に着くまでのだだっ広い岩場の中での正確なルートファインディングである。
小屋まで着けば、あとは頂上へ向けて稜線が伸びているので、上を見上げれば遥か先に、登山者の姿が必ず見えてくる。最初の岩場を越して、ケルンを頼りにルートを探しながら、高度を稼いで行く。3500m位までは、2時間位で登った。まだ下ってくるパーティもいる。途中日本人の大学生のパーティ(神奈川大)に会った。ソルベイ小屋まで行ったが、「力不足で下山している」とのことだった。2時間行動して、1時間で小屋に戻って来た。明日のことを考えて早めの夕食(カレー)を食べて、6時過ぎには寝床に入って、睡眠時間を少しでも多く取るように心がけた。この日は登山者が少なかったので、本館の2階の一室の下段で寝た。
8月19日(金)
朝、2時10分、目が覚めた。まだ早すぎると思ったが、起床を促され、寝床から出た。部屋の前のトイレに行き、そして床に置いていた荷物をかき集め、外に出た。今日は川崎さんと2人だ。周囲は全く寝静まったままだ。他の登山者達よりも、1時間は早く出発準備をしている。朝はあまり食べなくても心配ないが、緒方さんが用意してくれたチキンヌードルを食べて朝食にした。もう3時も近い。全ての出発用意をして、ヘッドライトを点けて歩き出した。3時15分 空は晴れていたが、周囲の山々には雲がかかっていた。天気が心配だった。岩場の基部に着いた。マリア像に真剣に、今日中に下山できることを祈った。あと少ししたら、ガイドパーティが動き出す。「少しでも早く自分達で行ける所まで行って、それから彼らが追いついて来るかな」それだけを念じて、素早い行動を心がけた。あまりにも早く抜かれてしまうと、岩場の真只中で立ち往生しかねない。それが不安である。「何とか余裕で、ソルベイ小屋を見たい」と思っていても、現実は厳しい。
4時半には、最初のパーティに抜かされてしまった。男女のパーティだったが、若い分、動きが機敏だ。早すぎたが、この時点で進行方向が不確かになってしまった。迷っていても仕方ない。予定通り、このガイドパーティの後を、直に追いかけた。尾根筋(稜線)を目指して上がって行ったようだ。 少し昨日と様子が違うと思ったが、ロープが丸めて捨てていたり、懸垂用の支点もあった。しかし、このパーティは近道をしたのだろうか? 彼等のいる場所から、下の方をヘッドライトの集団が登って来るのが見えた。どうも、これでは動きようがない。暗闇の岩場を足元に気をつけて、方向修正せざるを得なかった。光の集団に合流して、やっと安心したものの、ソルベイ小屋は遥か先である。おまけに、暗がりの中、なんと言っても眠たい。出発した1時間は、シャキッとしていたが、夜明け前の眠たさが襲ってきた。動きも少し緩慢になって来た。7時、曇天の中、ソルベイ小屋着。4時間かかっている。遅いが仕方ない。まだ時間には余裕はある。
 
ソルベイ小屋の下から小屋を見上げる。登山者が2名見える
しかし、そこからも長かった。頂上着10時25分。片道7時間は要している。小屋の下(モズレイスラブ下部)から、岩登りらしくなってくる。晴れていれば、違うが、この日は天気も悪く、岩場が少し不安だった。簡単な岩場でも、決してスリップはできない。暖傾斜の岩場でも、落ちたら広大な東壁をどこまで滑っていくか判らない。1ヶ所支点を取って通過する。同じく小屋のすぐ横から始まる、モズレイスラブ上部も同じだ。簡単な岩場が何メートルか続くが、用心して慎重に通過した。その後、ロープの垂れ下がった個所が出てくる。懸垂下降をすると20mはある所だ。ここはロープを持つと、垂れ下がって振られてしまう。支点が古くなって完全ではないのだろう。ヌンチャクを掛けてロープを通して、それから固定ロープを持って通過した。時の経過と共に、少なからず状況の変化はある。気をつけなければならない。まだ、アイゼンを使うような状況ではないが、4000mは超えている。肩を過ぎた辺りから、次のロープ帯が始まる。3ヶ所はあると思う。この辺りを通過中に、既に頂上に達したパーティとすれ違うようになって来た。断念したのかと思ったが、とにかく彼らの体力は凄い。彼らに聞けば、「頂上は、後1時間位」である。何とか頑張ろうという気にはなる。最後はロープと金梯子の両方を使って乗り越す。すると頂上直下の雪田である。雪の出てきた辺りからアイゼンを使い始めていたが、雪も高所にあって常に風に吹かれているので、昼間でもしまっていてアイゼンが良く効いた。疲れ方にもよるが、息が切れて苦しい中、最後の頑張りが必要とされる所である。青空を背景に黒々とした聖ベルナール像が立っている。その後、頂上稜線を休むことなく、一気にイタリア側山頂を目指した。天気は常に目まぐるしく、移り変わっている。周囲の景色に目を配る余裕は無かった。一気にイタリア側の山頂に着くと、イタリア側からも1パーティが来ていた。運良く自分達2人の写真を撮ってもらうことができた。天気が慌しく変化する中、2人の熟年者が、マッターホルンの山頂を極めた。こんな嬉しいことはない。大変なのはその後の下山である。疲れている中、安全にできるだけ早く戻って来たいばかりである。頂上雪田、ロープ帯と懸垂下降を何回か繰り返して、時間短縮を図ったと思ったが、それからも大変だった。薄暗がりの中、右に左にルートを探しながらの下降である。途中、外国人パーティと一緒になって行動した。ソルベイ小屋辺りではロープを使わせてもらったり、先導役をしてもらったりと、かなり助けてもらった。ソルベイ小屋着14時20分。その後も下りのペースが上がるはずもなく、ひたすら慎重に岩場の下降を続けた。ヘルンリ小屋はそこに見えている。しかし、一気に駆け下りることはできない。もどかしくなるが、慎重に後ろ向き に岩場を下った。最後は太腿が痛くなってきた。

それを我慢し、やっと岸壁基部が近づいた。もう自分達だけである。最後、慎重にロープを持って大地に降り立った18時05分。長い一日の終了である。空は、天気も持ち直し、穏やかである。小屋着18時25分。 運良く今日中に緒方さんと再会できた。ぎりぎりのところでのセーフである。15時間30分、マッターホルン登山に費やした、努力の時間である。
 憧れは試練である
 
マッターホルン山頂
 
頂上雪田を下る
 ベルニナ(4049m)  登頂:8月23日(金)8時45分
4000mしかない山である。名前も以前から知っていた。なんと言っても名前が良い。東京の山岳会の名前にも使われている、有名な山でもある。マッターホルンやアイガーのような峻嶮な山でもないし、簡単に登れると考えていた。
 
中央左の峰がベルニナ。左のスカイライン沿いに山頂を目指す

8月21日(水)
ポントレジナの駅に降り立った。駅前にはキャンプ場もスーパーも無い。困ってしまったが、とにかく観光案内所に行って、キャンプ場を探さなければならない。次にガイド事務所も見つけて、ベルニナ登山に必要な情報も手に入れなければならない。サンモリッツに比べるとここは静かである。運良く駅から徒歩10分位の場所に観光案内所があって、必要な用事を済ませることができた。その後ビールを買って、タクシーでキャンプ場まで移動した。(40CHF )清潔で快適なオートキャンプ場で、宿泊客も多かった。最寄りの駅まで、徒歩で15分位だった。シャワー室もきれいで、売店にも必要な食料・飲料が置いてあり、便利なキャンプ場だった。(1人一泊/15CHF)

8月22日(木)
10時30分発(モンタラッシュ)の列車で出発した。出発は遅かったが、ロープウェイを降りて、その後山小屋泊の予定だった。しかしロープウェイを降りてみれば、まだ11時過ぎ。十分行動可能な時間だった。目の前に広がる景色は、とても素晴らしかった。アルプスの景色はどこも雄大で、人々を魅了するが、ここもそうだった。眼下にベール氷河を臨み、その向こうに大きな山塊が広がっていた。ベルニナ、そしてバリュー、更にはその先に繋がる、山々を見渡すことができた。多くの観光客が来ていたが、中には日本人観光客もいた。

山の景色を堪能しに来たのだろうか?11時30分、準備を整えて出発。この1週間、ずっと晴天である。天気に関しては本当に運が良い。目の前の氷河(ベール氷河)を目指して、急なガレ場の道を降りていく。自然歩道みたいなものがあって、標識もあったが、途中から道をはずれて、一気に降りて行った。ガイド事務所で聞いた話では、この氷河の横断は90分位のはずだった。しかし結果は2時間以上かかってしまった。何とか横断したものの、その後のルートが判然としない。先行パーティもいたが、既に見えなかった。ルートを探しながら登って行くと、若いスイス人のパーティが降りてきた。ピッツ・バリューを登って来たらしい。「後、3時間位で小屋に着くはずだ」と言われて、少し元気は出たが、やはり時間がかかった。尾根を越えて、雪の斜面を横切り、また岩場に出てと、変化に富んでいる。雪面にはトレースが残っていて何とかなった。岩場も簡単だが、気は抜けない。印が付けてあるので判りやすい。最後の岩場を越えてからは、雪面にトレースが空に向かって続いていた。「どこまで行けば、小屋が見えてくるか?」と気をもみながら、辛抱強く歩いて行った。2,3時間では、とても今日の目的地の「マルコ小屋」には着かなかった。一つ尾根を回っても、トレースが更に先まで続いていた。登下降の繰り返しである。緒方さんが疲れてきて、思うように早く歩けなくなってきた。夕方になって、風が出て来て寒くなって来た。先を歩く1パーティが見えた。同じように疲れているようだ。氷河の登下降は、随所にクレパスがあって気が抜けなかった。疲れている時は、本当に大変だ。やっと小屋が見えてきてが、それでも1時間は優に歩いたと思う。20時30分、やっとの思いで小屋に着いた。9時間は行動したことになる。小屋は8時を過ぎても、食堂は人で一杯だった。平日なのに、どうしてこんなに多いのだろう? 若い人も多かった。何とか受付をしようとしたが、予約をしてないとわかると、「バイバイ」と言われてしまった。一瞬「エェー」としか言えなかった。受付をしてくれた人は、愛想の良い、小柄小太りの「おっちゃん」で、何とか冗談で済ませてくれた。ホットした。1人68フランで朝夕食付きである。満席状態だったが、席を確保してもらい、3人が何とか座ることができた。「パスタと少し塩辛いベーコン肉と野菜」で、遅い夕食をとった。やはりビールが無いと始まらない。ビールを飲んでくつろいで、食事が終わると9時半を過ぎていた。たまたま相席になったスロバキアの若者2人と言葉を交わすと、会話が盛り上がってしまった。夜も遅くなって、寝る時間も気になりだした。外の倉庫のような建物の最上段が寝床だった。何とか寝場所があっただけでも一安心だ。緒方さんがひどく疲れていて、いびきが激しかった。なかなか寝付かれずに夜が更けた。
8月23日(金)
4時半頃に、目が覚めた。外は風も強く、まだ暗かった。もう一度寝直してしまった。5時半、外が薄明るくなってきた。先ほどとは様子が違った。川崎さんを起こして、外に出た。出発準備をしていると。周囲も慌しくなってきた。既に出発しているパーティもある。6時15分、昨夜の「おっちゃん」が、小屋の前で我々を見て「朝食は食べないのか?エネルギーがなくなるぞ」と言ってくれたが、「山頂まで2時間の辛抱」と思って朝食もとらずに出発した。空身での行動である。この時も、時間の予想ははずれた。小屋の裏側から始まる急な雪壁が、体も重く遅々として高度を稼げない。何とか雪壁が終わり、次は岩稜(岩場)である。簡単だが決して油断することなく超えていく。途中には目印や鉄杭がある。既に渋滞も無く、自分達のペースで歩けた。2回目の岩場(20m)を過ぎると、頂上が目の当たりになって来た。イタリア側の山頂を越えると、スイス側の山頂だ。イタリア側の山頂に立った。先行パーティがいて、ここも頂上であることを教えてくれた。下山してくるパーティが見えた。やっと最後の登りだ。そしてそれが最後のピークだ。2時間30分を要したが、スイス側山頂に着いた。8時45分、十字架は無かったが、昨夜のスロバキアの若者2人がいた。懐に山で遭難した友人の灰の入った容器を抱えていた。
 
イタリア側からスイス山頂を見る
登頂した登山者が氷河をトラバースして戻って来ている
我々が到着して間もなく彼等は散骨して、先に下山して行った。その後、下山途中に彼等に追いつき、2パーティで行動をした。彼等に我々のロープを使わせて、懸垂下降を一緒にしながら、下降を続けた。10時過ぎても登ってくるパーティが多かった。人気のある山であることは間違いない。最後は、彼等が先に小屋に戻って行き、我々も遅れて11時過ぎには小屋に戻って来た。小屋に着いてホッとしていると、彼等がビールを御馳走してくれた。若い彼等がこんな形で気を使ってくれるとは、正直嬉しかった。昼間にビールを飲むのは少し躊躇もあったが、喉が渇いていたこともあり、やはりおいしかった。荷物をまとめ、軽い昼食をとって下山することにした。12時、長丁場には変わりない。陽射しも強く、楽な下山ではなかった。来た道を戻り、氷河を横断し終わって崖の上を見た。18時、山小屋がどっしりと、そこにあった。急なガレ場の斜面に泣きながら、何とか道を探しながら小屋を目指した(約1時間半)。夕陽に照らされて、最後まで暑かった。あまりにもきつい2日間だったが、やっとバレンツア小屋に着いた。19時30分、小屋というよりは立派なホテルだった。宿泊客(登山者)も多いと思った。受付を済ませて、外の景色の見えるレストランのテーブルに座って、登山靴をはいたまま、直ぐに夕食にしてもらった。新鮮な野菜サラダが美味しかった。ビールも冷たくて言うことは無かった。部屋はドミトリー(大部屋)だったが、宿泊客も少なく快適に過ごせた。久しぶりにシャワーを浴びて、ゆっくりと寝ることができた。
8月24日(土)
朝、ゆっくり起きて、7時20分朝食を済ませ、受付の女性に「美味しい食事、そしてシャワーもあって、一晩をゆっくり過ごすことができた」ことの謝意を伝えて、支払いを済ませた。クレジットカードも使えて有難かった。その後、外に出て周囲の風景をカメラに収め、9時30分のロープウェイで下山した。
 
イタリア側山頂で休憩する
 ベッターホルン(3771m
「グリンデルワルトに行ってみたい」スイス初めての緒方さんの希望で、予定を変えてグリンデルワルトにやって来た。ここでも天気は十分良かった。着いて2日目には、クライネシャイデックでアイガーを見た。夏も盛りを過ぎた秋の近い8月の午後だった。レストランの外のテーブルは既に無く、屋内から北壁を見上げて昼食をとった。遥かアイガーの左手にベッターホルンも霞んで見えていた。時間の余裕はまだあった。「メンヒに登ろうか」それともどこか他に無いだろうか、と考える中で、ベッターホルンが気になりだした。他の3山は既に登ったことがある。どうせなら違う山が良い。標高4000mは無い。手軽そうだ。限られた時間で登れると思ってしまった。しかし、思わぬ「天気の急変」で予定が狂ってしまった。2週間近くスイスに滞在して、たった1日だけ夜中に天気が崩れて、落雷と降雪に見舞われてしまった。部屋で寝ていても、落雷の音で周囲は騒々しく、なかなか寝付けなかった。朝起きると周囲の丘は、うっすらと雪が積もっていた。「今日は停滞」と一旦は決めたが、その後で晴れてきた。青空が広がりだした。動くしかなかった。今回は4人で行動である。もう一人はマッターホルンのキャンプ場で偶然知り合った、福岡出身の男性(50歳代)が一緒だ。その彼は、グリンデルワルトの駅で、荷物を持って雑踏の中を歩いているのを偶然見つけて、同宿しないかと誘ったことから同一行動が始まった。
8月27日(土)
スイス滞在中、初めての「バス」で、終点の「グロスシャイデック」まで行ったが、降りるべきバス停を間違っていた。地名を間違って覚えていたし、資料も良く見てなかったのが原因だ。途中の車窓から眺めたアイガーの姿に魅了されて、夢中で何枚も写真を撮っていた。お陰で、肝心の降りるべきバス停を完全に見落としていた。更に天気も不安定で雨が降り出した。そうなるともう夏山ではない。登山中止である。12時30分、帰りのバスの中から、岸壁を縫って伸びる登山道を見つけることができたが、雨も降り止むことなく、町まで戻って来た。大事をとって中止にすることにして正解だった。(14時)
 8月28日(日)
前日の反省を生かして、もう一
 度出直しである。
バスの中でも十分気をつけて構えていたお陰で本来のバス停で降りることができた。昨日の彼とも別れ、今日は3人で目的地である「グレッグシュタインヒュッテ(山小屋)」まで、天空のハイキングを楽しむことができた。(2時間40分)このコースは、断崖絶壁に作られたハイキングコースで、壁側には手すりのワイアーロープが張られている。道幅も決して広くない。周囲には氷河や雄大な山並みを臨み、時々崩れ落ちる氷河の音に驚かされた。受付で、小屋代を1人分70フラン(計210フラン)しか用意してなかったら、一人3フラン足らなかった。「朝食をやめようか」と思ったら人の良さそうな女主人が、「もう良い」と言ってくれた。ホッとした。とにかく受付を済ませ、外で午後の一時をノンビリ過ごした。2300mの地点にあるこの小屋の周りには、山羊や羊を放牧していて、のどかな雰囲気だった。大勢のハイカーもここまでは、来ていた。夜7時。同宿の若い人達と外のテーブルを囲んで、夕食をした。和やかだった。太いウインナーとポテトの入ったオーブン料理は、少々重たく、直に満腹になってしまい、閉口した。そしてデザートも「焼きケーキ」であまり食べる気がしなかった。早めに床について寝る準備をした。
8月29日(月)
4時、起床。今日は緒方さんと2人である。他にもスイス人の若者パーティが出発予定だった。彼らよりも早く出発して、少しでも余裕で山頂を目指すつもりだった。出発1時間15分で、氷河着。氷河に着いたものの、その先がお手上げだ。広大な氷河は、どこにどうトレースがあるのか判然としない。スイス人の若者パーティがやっと追いついて、先行しだした。彼らの後をついて、氷河を何とかそれらしき方向に移動すると、トレースが見えてきた。氷河を横切り、アイゼンをはずして一段落。「これで、何とか先へ行ける」と思ってしまったが、それから先も岩場の迷路で、遥か高みを目指して、どこでも歩けるような岩場を登って行った。この時には既に明るく、周囲の状況も良く判ったが、どこにルートがあるのかわからない岩山に、てこずってしまった。岩場に入るとケルンの数が激減してしまう。ガイドだけが道を判れば良いような感じである。8時は過ぎていた。
先行するスイス人パーティに追いついたが、彼らもどこがルートか判然としていなかった。我々に意見を求められたが、答えようがない。「尾根を越して、まっすぐ登るだけだ」と地図を見せて説明した。もう9時も近い。あと3時間で山頂に立てるかも怪しくなって来た。そして、下山にかなりの時間がかかる事を考えると、10時を待たずに下山を決めた。その後、彼等は山腹の尾根を横切り、稜線を目指して登り続けていった。彼らの後をついていけば、何とかなったかもしれないが、明日が帰国と思うと無茶もできなかった。今日中にグリンデルワルドまで帰らなければならない。下山を始めた。だだっ広い岩場の斜面を、足元に気をつけながら慎重に下降した。本当に気をつけて登らないと、帰り道がわからなくなる。2人なので、何とか最小限の時間のロスで、氷河まで戻って来た。下山途中、もう1パーティが上がってきた。彼等は途中ビバークしていた。変な格好をしていたが、頂上を目指すらしい。上から見下ろす氷河は、傾斜があって迫力がある。良くしまって安全そうだが、滑るとひとたまりも無い。二人でロープに繋がって、更に慎重に下った。日本では感じることの無い緊張感だ。無事に終了だ。決して登頂できないことはないが、時間切れだ。一昨日が雨でなければ、ヨーロッパの3山を何とか限られた日数で登ることもできたのかもしれないが、これだけ天気に恵まれて登山が出来ただけでも最高だと思う。悔しさ少し、充実感を満杯にして小屋に戻って来た。もう昼である。小屋にある荷物をまとめて、下山の用意だ。昨日の若者達もいなかった。新しい登山者の顔ぶれがあった。13時、3人で小屋を出発した。もう帰るだけである。周囲の景色を見やることもなく、下山を急いだ。1時間40分で、車道に出た。3時前だった。全てが終わった。バスが来るのを待った。またいつものホステルに戻って、帰国の準備を始めた。全ての荷物をザックに詰め込んだ。夜は駅の近くの少し馴染んだレストランで最後の夕食をした。ピザも何枚食べたろう。生ビールも良く飲んだ。もう当分は来ることはないスイス。また来れたら、あの山、あの岩場を登ってみたいと思うような、そんな迫力満点の感動の地である。
 
クライネシャイデックから見るベッターホルン
 昨日はNHKでオーストリアの最高峰を紹介していた。ヨーロッパは手軽で来やすい。イタリア、スイス、フランス、オーストリアと登頂可能な山がいくつもある。いくつになっても、チャンスがあれば、是非新たなチャレンジしてみたいと思った。

   2週間のヨーロッパ山行を振り返って

今回の山行は、終始天気に恵まれて運が良かったと思う。そして3人でケガも事故もなく、楽しく過ごすことができた。年輩者だけのパーティだったが、最善を尽くせたと思う。何にしても協調性が基本である。準備期間は、僅か2ヵ月半。この短い期間で、計画を作りトレーニングをして本番に臨むことができた。過去の経験があるからこそ、可能だったと言える。その結果マッターホルン、ベルニナと2山を登頂できた。十分な成果だと思う。次の機会に繋げる事が出来ればと思う。7月下旬には高所順応訓練を兼ねて富士山にも登った。これが結果的に良い事前訓練になった。御殿場口から9時間、荷物を担いで1日で登るのはきつかった。そして頂上でのビバーク。それ以外にも夏の皿倉周辺を数時間をかけて、 何回となく歩いた。すべての訓練が役立ったと思うし、よく頑張ったと思う。

 
朝焼けのシュレックホルン

グリンデルワルドのホステル滞在中に、テントを強風に飛ばされ、紛失するハプニングもあったが、これも保険に加入しており補填されそうである。一切何もないことはないが、これも併せて記載する。

 Reported by K.Mizoo  Photo presented by K.Mizoo