Assiniboine/アシニボイン(3618m)  8月10日(金)9時40分登頂
 カナディアンロッキーと聞けば、岩と雪の荒々しい山並みばかりを想起してしまうが、このアシニボイン周辺は別世界である。確かにアシニボインはマッターホルンのように峻嶮な岩山で氷河も抱いているが、裾野には幾つもの湖があり、そして広範囲に渡って緑のお花畑が広がっている。いつまでも見飽きることのない絶景である。他の山と比べても、圧倒的に人気のある山域である。それはアシニボインロッジが、常に客で一杯であり、予約なしでは宿泊はできないからである。そんな状態が毎日である。また多くの泊り客がヘリコプターを利用してやってくるのも大きな違いの一つである。ヘリの飛ぶ日は決まっているので、行きも帰りも利用客で順番待ちが出来る。   
ヘリの順番を待つ利用客
 
眼下に広がる湖や荒々しい山並み
 8月8日(水)我々も12時半のフライト開始の1時間以上も前に現地に着いたが、やはり利用者が多く時間通りには行かなかった。発着場(「マウントシャーク」)から10分程度のフライト。歩いてくるとなると6時間はかかるらしい。そして2度目となる、今回のヘリコプターのフライト。初めてのようにとてもわくわくした。眼下に広がる湖や初めて空から見るカナダの荒々しい山並み。「凄い。」の一言である。日本の景観と迫力が違う。行きは偶然、助手席に座ったので眼前に広がるアシニボインの山並みを見ながら、パイロットとレシーバーを付けて話をすることができた。旋回しながら、小屋に近づいて行くとアシニボインの雄姿が鳥瞰図のように迫ってきた。何枚も空撮写真を撮った。
 無事に着陸してアシニボインを望んだ。行く手の断崖の上に北壁がそびえている。時間は既に1時を過ぎていたが、今日中に着くはずである。天気も申し分ない。但し蚊がやたらと多く、どこまで行っても必ず付きまとってくる。全く信じられない。荷物を担いで起伏の少ないトレイルを道標に導かれて進んで行く。メイゴッグ湖の傍を通ってガレ場の斜面を詰めて行く。ここまでは予定通りだった。ガレ場を詰め終わるとトレースが終わっていた。階段状のガレ場を水が流れ落ち、直ぐにはルートのようには見えなかったが、そこを通って行く。出た所で右にルートを取ってしまった。その後、断崖絶壁の中、歩きやすい所を選んで、ドンドン反対方向に突き進んでしまったが、途中、残置シュリンゲもあって道迷いに気づくのが遅れてしまった。断崖絶壁の中を数時間さまよった挙句、ロッジまで引き返して来た。  
メイゴッグ湖の傍を通ってガレ場の斜面を行く
  途中コースの写真を撮って小屋に着いたら様子のわかる人に話を聞くつもりだった。夕方も7時近くなると雲行きが怪しくなって来た。何とか持って欲しかったが、やはり雷の音が聞こえて夕立が降ってきた。30分位だろうか。大した雨にもならずに済み、ホッとした。小屋について、昼に出会った従業員の男性に話をして、登山コースのわかる男性と話をすることができた。2回アシニボインに登っているらしい。デジカメの写真を見せながら話を聞くと、少しずつ様子が分かってきた。コースを間違っていたのは確かだが、どう行くかが知りたかった。最初の階段状のガラ場から更に上に見えるガリー(溝)に行かないといけないのが分かった。どこを歩いてもガラ場だし、断崖絶壁には変わりない。そのガリーを通過したらトラバース気味に滝の流れている方向(左)に、気を付けて進んで行けということらしかった。やっとこれで小屋まで行ける。明日は大丈夫だと思ったものの、寝場所がない。テントを持って来てなかったので、頼み込んだら燃料小屋(物置)を使わせてもらうことができた。テントも無くどうしようもないはずだったが、マットを敷いて狭いながらも寝ることができ、運が良かった。ビール(1本7ドル)も6本買って、持って来たソーセージを焼いたりして夕食にした。やっと山行1日目が終わった。
 山行2日目(8月9日/木)今日も天気は心配ない。満載の荷物を担いで昨日の道を引き返して行った。7時過ぎには出発しただろうか。断崖絶壁のガレ場に次ぐガレ場の踏み跡をルートファインディングしながら進んで行く。日が高くなっても、さほど暑くはない。氷河を渡る風が涼しく感じる。懸垂用の支点が何カ所かあって、ルートに間違いないことが確信できた。ケルンも分かりづらいがあったりして導かれるようにして進んで行った。途中、下山してくる一人の若者と出会った。軽装だがアシニボインを一人で登ってきたらしい(4時間半位で登ったそうだ)。その彼は、2週間前にはパキスタンでブロードピークにいたとのこと。凄い。彼が「小屋には2人の登山者がいること、ルート図のコピーがあることなど」を教えてくれた。ハインド・ハット(避難小屋)はアシニポイント北壁の傍の高台広場にポツンとあった。麓から は「黒い岩肌が広がる一角」に隠れて見ることはできない。最大16人収容のこぎれいな避難小屋で、頑丈にできている。コンロがあって自由に使える。テーブル、椅子、食器などがある。寝床にはマットが敷いてあるので快適だが毛布等は無いのでシュラフは必携(使用料は1人15ドル)。
ハインド・ハット(避難小屋)
 1時頃に着いたが、2人の登山者の姿は無い。荷物を解き、運びあげたビールを飲んでくつろいだ。水は小屋から離れた所に氷河の雪解け水が流れているので、そこから汲んで来た(煮沸する必要がある)。トイレも堅牢な一戸建てで、清潔で使いやすかった。静かだ。夕方になって2人が戻って来た。一人は大柄な体格で、クリントイーストウッドみたいだ。もう一人はイラン人だがカナダの国籍を取得して15年ほどになるそうだ。バンクーバーから12時間かけて自動車でやって来ていた。我々を含めて全員が同世代だった。国籍や人種の違いがあっても妙に親近感を覚えた。彼らは前日、約12時間で山頂を往復していた。その彼等と一時を過ごした。イラン人の彼は親切にルート図をとって、窓越しに北壁を見ながら何回も我々にアドバイスをしてくれた。北壁には2つのバンドがあって@トラバースする所、Aガリーを詰めて上がって稜線に出る辺り・・。そんな要領が良くわかった。夕方6時前には下のロッジまで連絡して天気予報を確認してくれた。夕食時に岡村さんが味噌汁を作って全員にふるまってくれた。日本から味噌を含め必要な食材を大切に持って来たのが役立った。美味しくて体が暖まった。イラン人の彼は2杯目をおかわりした。両手で容器を持ち、座ったままゆっくり味わっていた。彼はデナリや日本の富士山にも登っていた。名前は聞いたかもしれないが、今ではもう覚えていない。「君の友達はGood Cookだ。」一言お礼を言ってきた。寡黙で、逞しい大柄なカナダ人とイラン人の2人の登山者に会わなければ、次の日のアシニボイン登山は、もっと時間がかかっていてもおかしくなかった。
 4時半起床。1時間位で用意を済ませて外に出た。稜線の下部を目指して岩場(モレーン)を下る。やはりガラ場に違いない。でも上を見上げると、所々にケルンがあって踏み跡がわかる。ガラ場の岩場を指示された事を思い出しながら登って行った。思ったほどの緊張感が出てこない。「スクランブル」と言うロープを使わない岩登りで、十分に熟せた。@Aのアドバイスの地点もわかった。Aの途中では残置のナッツもあった。その後も順調で稜線をって山頂を目指した。岳人の写真資料では、稜線にはしっかり雪が残っていたが、それも無かった。
 
ロープを使わない岩登り(スクランブル)
 
稜線には雪が無かった
 「複雑」と言うルートファインディングも無かった。本当に雪が少なく、ほぼ岩登りだけの登山だった。ロープも使うことなく無事に頂上稜線に出て、山頂を踏むことができた(9時40分)。標柱等はない。弾薬箱みたいな金属製容器があって、登頂者が各自の思いをメモパッドに書いて入れていた。でも湿っていて読めそうなのは少なかったが、「天気が良くて申し分ない。」と言うような感想があった。装備に関しては、今回はピッケル、アイゼンは全く不要だった。ロープも懸垂用の1本で十分だった。本当は、過去の資料の通りの登攀になるのだろうが、天気に恵まれて運が良かった。悪天候(雨)の停滞も無く、道迷いが無ければ3日で山行が終わりそうである。下りにどうしても時間がかかってしまうが、少し気を付けて下れば懸垂下降も不要に感じる斜面だった。ただし浮石が多いので落石には十分注意だ。登り4時間、下り5時間でアシニボイン北陵をトレースすることができた。我々が小屋に戻って来た時には、既に2人はいなかった。
 アシニボインを去る12日の昼前、ロッジの受付で、行きのヘリコプターで一緒になった女性が、自分の買ったアシニボインのポスターに我々のサインを求めて来た。英雄扱いだ。照れ臭かったけど、アシニボインの写真のすぐ上辺りに、我々2人の名前と登頂日を書いてあげた。するともう一人、中国系のカナダ人の女性が、同じようにサインを求めて来た。小屋の外でも中でも、アシニボイン登山の様子は何人にも聞かれた。気恥ずかしくなるけど悪い気はしなかった。我々が登っている時、ロッジの望遠鏡で一部始終を見ていた人もいた。お蔭で多くの人が我々の事を知っていた。無事にヘリに乗って、麓まで戻って来ることができた。先ほどの女性達も後から着いて、我々2人と彼女達のグループの仲間で肩を組んで最後の記念写真を撮って、笑顔で別れた。ロッジの離れは8人位は宿泊できそう。  
ロッジの離れとアシニポイント
 Athabasca/アサバスカ(3491m)  8月15日(水)12時30分登頂
 長い滞在期間中、終日雨が降った日が1日だけあった。天気には本当に恵まれたので、この1日はとても印象に残っている。アシニボインから戻って来て、麓のキャンモアで2日間を過ごした。5日間をアシニボインで費やしたので、ロブソンの予定が消滅してしまった。その代り、「アサバスカ」を次の目標に選んで登ることにした。14日(火)、キャンモア出発。決して天気が悪いという感じではなかったが、車を走らせて行くにつれて雲行きが怪しくなってきた。その内に小雨混じりの空模様に変わりだした。でも決して激しい雨模様ではない。国道93号線を北に走って行くと、途中に「コロンビア大氷原」がある。レイクルイース等と並ぶ有数の観光地である。雨雲に隠れてそれらしく見えなかったが、一瞬の内に記憶が蘇った。ここは、20年前に来てSNOWCOACHと言う雪上車に乗って観光した想い出がある。そして「アイスフィールドセンター」と言う氷河観光のシャトルバスの発着場のある建物がある。車を駐車場に停めて中に入った。雨が降って外は寒くても、中は人で賑わっている。目指すはインフォーメイションコーナー。登山に限らず、宿泊施設等、大抵の情報が入手できる。受付には女性が2人いた。  
「SNOW COACH」と言う雪上車
  
アサバスカ山
 アサパスカ山の様子アサパスカ山の様子を知るべく、年配の女性に話しかけた。話の内容の大部分は忘れたが、「日本語を話す男性職員がいるから1時にまた来なさい。」と言うことだった。その後、一旦車に戻って昼食をとって、時間が過ぎるのを待った。1時になって戻ってみると、それらしき男性が立って応対をしていた。すかさず、自己紹介をして彼(ベン)と話をした。6年以上長野にいたこともあって、日本語も心配なかった。「アサバスカに登りたいが、どのルートが分かりやすくて良いだろうか? 登山者はいるだろうか?」 色んな質問に答えてもらった。アサバスカは1日で往復できる、3,000mを超す氷河の雪山ではあるが気は抜けない。必要な情報を仕入れた後は、寝場所探しである。天気が明日回復傾向にある以上、16日の予定を変えて、明日登山決行である。国道沿いのオートキャンプ場に移動して、道路脇に車を止める。今日は車中泊だ。雨は止むかと思えば、また降り続ける。そんな繰り返しだ。炊事小屋があって、中で煮炊きができる。薪ストーブもあった。ビールと焼酎で、スーパーで買って来た惣菜を摘まむ。侘しいが仕方ない。外も寒くビールが旨くない。夕食もそこそこに済ませて、寝る支度に取りかかる。車の座席を倒して、何とか大人2人が足を伸ばして寝れるようにした。決して楽な姿勢ではないが仕方ない。外は7時前で明るい。なかなか寝付けないが何とか寝る努力をしてみた。時間の経過と共に少しは寝たかもしれない。
  深夜2時起床。車内での朝食の準備だ。コンロを使って即席ラーメンを作って食べた。そして出発。漆黒の闇の中を、大氷原に続く未舗装道路を辿って行く。国道から約1q位の所でゲートが下りていて、そこが一般車の入れる終点で駐車場でもあった。そこから直ぐに山道が始まっていた。登山届入れも設置されていた。我々が着いて30分もしない内に、3台の車がやって来た。我々は、大氷原に続く道路を終点まで行って、最初に勧められていたルート(AAコルルート)を行くはずだった。しかし暗闇の中、ルートファインディングが全くできず、駐車場まで戻らざるを得なかった。そして再度、コースを変えて(北壁氷河コース)のルートで山頂を目指すことにした。時間は4時前で、相変わらずの暗さだ。沢沿いに、踏み跡を辿って行った。ガレ場の山裾を1時間以上歩いただろうか。どうしてもルートが判然とせずに引き返す。そして途中から尾根筋を上に行く踏み跡があった。もう6時前で薄明るくなっていた。やっとこれで登山を続けられる。もう一度出直す必要もなくなった。高度が上がるにつれて、視界が効いて周囲の様子がよくわかった。ガレ場を詰めて登って行くと氷河の末端に行き当たった。最初は岩混じりの氷河を、アイゼンを効かせながら登って行った。しかし、アイゼンンの不具合が災いして何回となくはずれてしまった。これでは、アイゼンが役立たない。何回か点検しなおして固定してやっと普通に歩けるようになった。既に岡村さんとの距離があったが、写真を撮りながら登って行った。
 
クレバスが大きく割れて迫力のある斜面
 ゆっくり足元を確かめながら歩けば決して心配はない。氷の急斜面ではない。一歩一歩、丁寧に歩いて行くだけだ。お互いにロープは繋がなかったが、必要性はなかったと思う。肩に出ても頂上は、まだまだ先だ。早朝の起床と道迷いで余計に歩いた分、疲れを感じ始めた。そして風邪気味なのもマイナス要因だった。肩に出て、遥か上部に山頂の一部が見えた。そこから先が本当の山頂なので、気が抜けない。双耳峰とも言えなくもない。他のパーティとどこかで出会うと思ったが、1パーティは我々のいた所から遥か下の氷河をトラバースしながら移動しているのが見えた。そしてもう1パーティは早々に途中のコルから下山していた。天気がこんなに良いのに不思議だった。蒸し暑くない(カラッとしている)ので過ごしやすい。意外と喉も乾かなかった。
  晴れ渡った空の下、頂上を目指して最後の頑張り所だ。残り400m余りの高度差を我々だけでトレースを付けて行くだけだ。頂上に続く岩場を一歩一歩、登って行った。最初のピークまでもきつかったが、そこから続く頂上稜線が長かった。一旦下ってトレースの無い斜面を30分くらい歩いただろうか? 高度計が 3,480mを指した。そこから先はもう下りだった。十字架も標柱も無かったが、頂上には間違いなかった。1230分、頂上着。およそ6時間の行程だった。
下山は(A&Aコルルート)を使うことにした。急な雪混りのガレ場を下り氷河を歩いて、最後はケルンに導かれるようにしてトレースを探しながら約4時間で駐車場に戻って来た。(4時30分駐車場)
 
急な雪混じりのガレ場を下って氷河を歩く

 長かった頂上稜線
 出発前に、インファーメーションコーナーに下山の報告に行った。そこで最初に会った女性2人が受付をしていた。無事に登って戻って来たことを伝えると、アサバスカのレジストレーション(レポート)を書いてくれと言う。書式があって、特に氷河(雪)の様子や山全体に関する詳細な記入項目があった。逐一読みながら記入することができたと思う。年配の女性が「私達にも読めるように英語で書いてね。」と言っていた。「今日の我々の登山で、完璧なトレースが駐車場から頂上まであるよ。」と何回も伝えることを忘れなかった。彼女達はアサバスカに登ったことがなかったので、「山頂の写真を見せてほしい。」と言われて、2人に自分達の撮った山頂の写真を披露した。感心して見てくれたのが嬉しかった。和やかな雰囲気だった。(後日談だが、「北壁氷河コースで2年前の夏に氷河が崩れて、ドイツから来たガイド2人が巻き込まれて亡くなった。」と言う話をベンがしてくれた。だから北壁氷河コースは勧めたくないとも・・・)
 PeveriPeak/ピベリルピーク(2,679m)  8月18日(土)12時50分登頂
 カナダ滞在中、最後の登山となったこのピーク。日本にいるときは、全く知らなかったがジャスパーのインファーメーションセンターで国立公園係官が紹介してくれて登ることになった。この山の写真を見た時の印象が強烈だった。雪を纏った山の写真に、ヒマラヤの山かと思ってしまった。しかも3000mもないのに迫力は、満点である。彼はその写真にルートを線で引いて説明をしてくれた。
 
ピベリルピーク
 8月も後半に入り、夏のカナダは朝夕は肌寒さを感じ、長袖・セーターを着ていても過ごしやすかった。既に2峰登った後の滞在期間も残り少なくなっていた時だが、それでも、もう1ヶ所(1山)は登れるだけの体力と時間の余裕はあった。それにしてもロッキーには山が多い。これ以外にも「エデスキャベル(第一次大戦中の看護婦でヒロイン)」も候補にあったが、「氷河が崩落して湖が溢れて、道路が冠水して近づけない。」と言うことだった。ジャスパー近くの手頃な親しみやすい山なのに残念だった。コピーを貰ったその後、街中の登山用品店に更なる情報を求めて出向いたが、詳しい話は聞けなかった代わりに、他の店(何故かコピーショップ)を紹介してくれた。その店に行くと年配の親父さんがいて親切に応対してくれた。この店では地図やジャスパー周辺の地域情報(岩場のルート図等)を扱っていた。お蔭で、この山の周辺の地図を印刷してくれたり、周辺の様子を説明してくれた。また、この方の娘さんが20年ほど前に日本に留学(横浜)をしていたことなども話してくれた。そして再度インファーメーションセンターに行って、係官の彼ともう一度情報の内容を確認したり、他の情報のコピーももらうことができた。この季節、山は全くの岩山なので、それ用に軽登山靴(ガルモント)を買って最後の準備も整った。(230ドル)
 次の日(18日)、予定通り、ラスト登山に向かった。起床5時。朝がすぐやって来た。天気の心配は今回も皆無。前日の夕方は、ベンさん夫婦(奥さんは由美さん)やジャスパー在住の日本人家族と郊外の湖でパーティをして楽しく過ごしていたので、夜の時間の経つのがとても早かった。これも旅のエピソードで想い出深いものがある。ベンにアイスフィールドセンターで出会ってなければ、この経験はなかった。滞在していたホステルから約20分で駐車場着。事前の下見もしていたので、ここまではとてもスムーズ。昨日も今日も停まっている車の数が多い。こんなに沢山、車があって、皆、登山かハイキングに行ってるんだろうか? そんな疑問が浮かんでくる。630分出発。立派なハイキングコースがずっと山懐深く続いている。空は晴れて高い。しかし歩き始めても30分は肌寒くてセーターが脱げない。そして足元を気を付けないと、馬糞が随所に落ちてある。ハイカーも通るが、馬に乗って優雅に山旅をするのか、羨ましい限りだ。渓流沿いにハイキングコースが続く。30分もすると目指すピークが木々の向こうに見えた。荒々しい岩山だ。そしてさらに歩き続きるとまた見えて来た。1時間歩いたと思っても、まだ遠い。このアプローチでも十分長かった。やっと近づいたと思っても明瞭な踏み跡がある訳でもなく、山を見上げながらコースを外れて、針葉樹とシダ類と倒木の混在した斜面に藪漕ぎを始めた。この藪漕ぎもかなり長いと思った。上を見ながら、右にもロッキー、左にもロッキーの荒々しい山並みが望めた。手を伸ばせば、本当に向こうのピークに届きそうだ。どこまでも広がるカナディアンロッキーの大地と天を衝くように聳える重量感のある山々に囲まれてのラスト登山。
 
2600mを超すと岩だけの世界
 2600mを超すあたりから、岩だけの世界になってきた。山裾が上に向うにつれて一つの稜線になって、集約されてきた。見た目ほどの急勾配でもなさそうだし、岩も「積み木細工」のように大まかな感じで、手がかり、足がかりは十分だった。地元の人達は、ロープを使わずに登れる岩場の登攀を「スクランブル」と呼んでいるが、正にその世界だ。2週間近い滞在の疲れもあるが、ゆっくり上を目指して登って行く。途中1ヶ所だけ、本当にロープを使う場面があったが、上級者であれば不要だったかもしれない。岩場を登るだけで、4〜5時間は費やしただろうか?2900m以上と思っていた山が、2600m代だった。12時を過ぎ頂上が見えて来た。
 平日にもかかわらず山頂に人影(2人)が見えた。ほぼ同時刻に、他にも同じように、この山を登っていたパーティがいたのだ。ルートは違うが、これだけたくさん山があるのに、不思議な偶然の一致だった。1250分頂上着。空は澄み渡り遠くの山並みもよく見える。一つ一つのピークに名前はきっとあるだろう。でも今はいい。たくさんの山々を見すぎた。山頂の景色を堪能して登頂写真を撮って下山することにした。  
山頂に人影が見える
 
ピベリルピーク山頂からの眺望
 しかし今日は昼から、やたらと暑い。蒸し暑いくらいで喉が渇く。下山コースには、何カ所もケルンがあって、オリエンテーリングみたいだ。ガレ場を滑らないようして下りて行く。とにかくケルン探しだ。最後は急斜面を一気に埃を舞い上げながら下りて行くような、そんな所だ。靴も土埃にまみれてしまった。2時間位でハイキングコースに降り立った。暑くて、喉も乾いて疲れてしまった。そして来た道を戻って帰る時の、時間が長く感じたこと。もう急いで歩く気力は残ってなかった。途中、小休止を何回か入れて、やっと駐車場に戻って来た。疲れ果てた体に、夕方の陽射しが厳しかった。(1710分/駐車場着)
 17日間の山旅を終えて  8月23日(木)20時30分北九州着 
 4月に今回の計画を披露したと思ったら、もう旅行そのものが終わってしまった。休暇の確保、航空券の手配、ヘリコプター、レンタカー、ホテルの予約等、いろんな準備も全て整って、87日(火)に日本を発った。私はインターネットが不得手なので、岡村さんの巧みな情報収集能力には感謝するばかりだ。現地ではホテル、物置小屋、避難小屋、テント、ホステル、BB(民宿)と宿泊形態は様々だがいろんな所で泊まった。うまくホステルを使うと宿泊費が抑えられて良いが、大部屋で2段ベッドの寝泊まりは年配者には不便かもしれない。その中でも1泊27ドルのホステルで過ごした夜が印象深い。国道沿いにあっても国立公園内なので、シャワーが無い。トイレも外の公衆トイレ。飲料水もタンクで確保。薄暗い食堂に明かりが灯り、宿泊客が集って談笑していた。やけに賑やかだった。日本の山小屋みたいだと思った。人と人との交流があった。週末の土曜日、どこも空きが無く、やっと見つけた宿泊場所。スーパーで買った照り焼きチキンとサラダ、そしてギンギンに冷えたビールで遅い夕食をとったのが懐かしい。
 
公園事務所前広場から、ロブソンの勇姿を望む
 天気に関しては、ほぼ終日、雨が降ったのは、1日だけ(14日)で申し分なかった。出発前の「カナダの長期予報は、3日連続雨の後、4日間晴。」と言った内容だったのに、あの天気予報は何だったのだろう。 アシニボイン、アサバスカ、ピブリルピークと3つの山の頂にも立てた。登れなかったが、ロブソンも見ることが.出来た。晴れ渡った空を背景に、雄大なロブソンに圧倒された。我々が見た数日前に日本のパーティが登った話を事務所で聞いた時、絶対に次の目標はロブソンにしたいと思った。
  Reported by K.Mizoo  Photo presented by K.Mizoo